2015年10月28日水曜日

パラダイムシフトとフォーマット創出

ソニー創業者・井深大が2400人の幹部に発したパラダイムシフトという遺言」という記事を見て、久しぶりに「パラダイム」という概念のインパクトの大きさを思い出しました。








以前、資本主義に替わるパラダイムとして、「人本主義」や「知本主義」といったものを考えていたことがあったので。



その昔、チャーチルが


資本主義の欠点は、幸運を不平等に分配してしまうことだ。社会主義の長所は、不幸を平等に分配することだ。 」





 などと面白い皮肉を言っていましたが、自分としては「資本主義は幸運も不幸も不平等に分配するが、競争を煽ることにより幸運と不幸を足し引きした総量が社会主義よりは若干プラスになる」といった感触に思えます。(国次第ではありますが)



で、井深さんがおっしゃっていた「パラダイムシフト」はもちろん政治的イデオロギーの話でなく、モノと心の関係性、モノ領域から心の領域への科学技術の応用と言うような観念ですね。

心理学や精神医学、社会心理学のような領域では心は臨床的、医学的には科学されているわけですが、技術的な方面では少なくとも表立った進展は見当たりません。



例えば、日々仕事や地域生活、あるいは交友関係でも生じる人間関係のストレス、啓蒙本などは出てたりしますが、それを解決する技術やシステム、アプリ、サービス、などは知りません。

一概に技術で解決すればいい問題ではないですが、無駄なストレスを減らし、よりクリエイティブな社会に向かうことはできると思います。



私自身がそれに近い方向性として興味があるのは、様々なカテゴリのプライベートなグループをエンパワーメントすることと、個人の創作活動そのものをエンタテインメントにすること。



グループのエンパワーメントとは、プライベートな集まりでも、そのアイデンティティを明確にするため、チーム名、ロゴ、ドメイン、ML、Tシャツ、名刺、諸々のチームが求心力やブランディングを高めるためのツールを簡単に用意できること。

私自身、花火打上資格を持った集まりでグループを作っていますが、その中で上記のような道具立てをそろえるのにそれぞれ別々な手間がかかったのが面倒で、それらをワンストップにできたらいいのに、というのが発想の発端でした。



個人の創作活動そのものをエンタテインメントにする、というのは、現在のエンタテインメントは主にプロフェッショナルが創作したコンテンツを消費するという一方向の流れしか無いところを、ゲームや音楽、あるいは映画などのコンテンツを生む出すプロセスをAI的な仕組みで補完し、ある程度のイマジネーションさえあればそれなりのアウトプットを出せる様な仕掛けができたらなぁ、といったところです。





さて、井深さんのパラダイムシフトに対してもう一つ心に沁みついている言葉として、大賀さんから直接お伺いした「フォーマットを作りなさい」という訓示。

大賀さん、ソニーのマネジメント会堂には出なくても、ソニーミュージックのグループミーティングには最後まで出席し、スピーチをされていました。最後に出席された場に、当時出向でソニーミュージックに在籍していたため上記の訓示を聞くことができたのでした。

大賀さんはCDの長さを決める際にカラヤンのアドバイスで「第九が収まる長さ」として74分に決めたという逸話がありますが、フォーマットというものにとてもこだわりを持たれていらっしゃいました。



音楽をはじめとするソフトウェアがインターネット上で流れるようになると、製造や物流、在庫といった複雑なオペレーションが不要になったため、ある意味だれでもフォーマットを作れるようになりました。ここで混乱し、セキュリティに重きを置きすぎて扱いにくいDRM系フォーマットと、コピー自由で扱いやすいMP3といったフォーマットが並立し、易きに流れるような形でnon-DRMがデファクトになりました。

これらも初期段階からユーザーにとっても扱いやすく正当な対価で安心して所有できるフォーマットが用意できていれば、音楽ビジネスももう少し違う状況になったかもしれません。(現在音楽著作物はピーク時の半分以下の市場)

何というか、握手券としての役割の音楽フォーマットがチャートをにぎわせるような状況もどうも違和感を感じています。

まぁそれでもいい曲は出ているような気はしますが、何となく昔のように若い連中がギター弾いたりするようなシーンが減ってきているような気がします。



ネット時代の、アーティストとファンをつなぎ、より音楽を楽しめる様なフォーマットを改めて定義したいものです。

2015年10月23日金曜日

確実に来るイノベーション、あとは誰がどう実現するか

2015年10月21日はBTTFネタで盛り上がりましたね。

その中で、日本環境設計さんがデロリアンを再生資源で走らせるプロジェクトもあり、ついにBTTFの未来が実現したような感覚になりました。




Back To The Future x FUKU-FUKUプロジェクト みんなで資源を集めてデロリアンを動かそう。






毎年多数の犠牲者を出し、環境を汚染するという社会課題を解決をできていないインフラ「自動車」。

昨今話題となっている「自動運転」や「EV/FCV」といった技術革新により社会の在り方が大きく変わります。



さて、それはいつ頃、どうやってなのか。



私も遠い昔、国プロで日本発ITSアーキテクチャの社会設計を担当したことがあり、自動運転(AHS)部会の検討内容を見ながら非現実的な随分遠い未来のことを語っている感覚ありましたが、最近の動きを見ると実現までの道筋がある程度見通せるのではないかと思うようになりました。

個人的な仮説と、期待する応用シナリオを挙げてみます。


  1. ガソリン車→非ガソリン車(EV/FCV/他)

    ガソリン車同等以上の手間や走行距離を考えるとFCVが優位に思えますが、水素をどう作り出すかというプロセス次第では環境への影響を完全に排除できない可能性もありそうです。水の電気分解にしても、現状の発電エネルギーを使うわけですし、化石燃料の改質にしてもCO2は発生しますので。
    洋上で太陽光や風力で電気分解できれば理想的なのでしょうね。
    FCスタンドの設置は鶏と卵ではありますが、収益力のある自動車業界中心に決めれば進むでしょう。


    EVはバッテリーコストの課題で現状航続距離がガソリン車ほど取れません。テスラは結構がんばっていますが、それでも500㎞ほど。
    こちらの究極は道路からの非接触給電でしょう。幹線道路や高速道路のところどころに充電用路面を設置し、EVはその上を走ることで給電される。これなら停止補充無しでどこまでも走れる可能性があります。山道とかは難しいでしょうか、通常山道だけを走り続けるということは考えにくく、移動途中の高速道路や幹線道路で賄えるのではないかと思います。
    ただ、インフラ設置は道路管轄の公共セクタが請け負うことになるとするとコストの捻出が難しい気がします。こちらも自動車業界がスポンサーとなるべきでしょうね。

  2. 手動運転→自動運転

    国の号令もあり、2020年までに一部実現するという流れになってきています。高速道路から実現しそうな気配ですが、まだまだ色々な課題があります。
    自動運転モードで熟睡したまま手動運転ゾーンなったら本当に起きるのか、自動運転中のもらい事故に近い状況(飛び出し)の扱い、など。
    それでも人の運転よりも中期的には安全向上が期待できるので試行錯誤しながらも実地でフィードバックしながら性能を向上させ続けることが重要だと思います。
    究極は手動運転禁止、全自動運転化社会でしょう。そうなればスピード違反をはじめとする違反や危険はかなりの部分回避できるようになります。自分で運転するから少しでも早く到着したくてイライラしたりするわけですが、電車なら巡航速度で誰も文句言いませんので、それと同じような感覚。
    Fun to Driveはスポーツとしてサーキットで楽しむもの、ということになるのでしょうね。

  3. EV化・自動運転化による個人的な期待(モバイルリビング)

    EV化、自動運転化が究極のレベルに達すると、車は移動手段でなく、移動時間を過ごす空間という捉え方になります。公共交通は公衆の面前なのでおとなしく座っているだけの空間ですが、JR九州ななつ星のように移動空間を楽しむ例もあるわけです。
    車の場合、さらに突き詰めた「自分たちだけの空間」ですから、自宅リビングの延長線になる可能性が高いと思っています。
    移動する頻度によってはカーシェアリングが主流となり、その場合はホテルに近い考え方かもしれません。
    いずれにせよ移動時間をどう過ごすかというソリューションを考える未来が確実に来るわけです。



    私自身、キャンピングカーに10年弱乗っているので、自宅リビングの延長という感覚はすごくリアリティがあります。そして上記技術革新がクリアされ、「モバイルリビング」が実現されることが自動車業界の本当のイノベーションになるのだと考えていました。
    その手前でHVやPHVでも電気に困らないという観点でキャンピングカーの魅力を向上させるアイデアを事業提案したこともあります。
    Brocadaとして独立した今、改めてその未来に向けて一歩でも進んでいきたいと考えています。
    折よく、今週末はお台場でキャンピングカーショー、来週は東京モーターショーですからね。